「努力はウソをつかない」
「努力に勝る天才なし」
プロ野球界で捕手初の三冠王を獲得し、
名将でもある野村克也氏が残してきた数々の名言の内、
上の2つの言葉は誰しも一度は聞いたことがあるのではないだろうか。
そんな野村氏は、自他ともに認める「処世術0点」の人間であると言う。
日々激しい生存競争となるプロ野球の世界では、
身体と頭を常にフルに使って結果を出していくしかない。
南海ホークスの入団テストを受けてから東北楽天ゴールデンイーグルスの監督を退任するまでの60年間、
恵まれた相手・恵まれたチーム以上の「質の高い努力」を続けてきた。
「この努力は正しいか、まちがっているか」
「何のためにどういう努力が必要か」
持たざる者が恵まれた者に勝つための
「正しい努力」そして
「知恵と工夫をする努力」
そこから誕生したのが「野村の考え」そして「野村再生工場」であった。
縁あって同じチームとなった選手たちの中には、
「野村再生工場」によって「正しい努力とは何か」に気づいて急成長を遂げた選手もいた。
一方で努力して、猛練習もした素質十分な選手たちがいつの間にか消えてしまっていた、ということも見てきた。
一生懸命努力をしてきた時に結果が出なかったが、
「正しい努力」をしたことで結果が出た選手やチームの事例の中には、
組織であれば起こりうる「信頼関係」や「目的意識」のような
野球だけにとどまらない普遍的なテーマもあった。
現場であるグラウンドで、そういった数々の事例を見てきた野村氏が語るのは具体的な選手のエピソードだった。
例えば、田中将大投手は、レギュラーシーズンの一シーズンで「負けなし」という記録を作ったが、
そこには野球が上手いというだけではなく、
普段から野球に取り組む姿勢や行いなど人一倍の努力を重ね、
チームの信頼を勝ち取っていったという理由があった。
野村氏が現役時代にバッテリーを組んだ〇〇投手もまた、
野球の技術以上に人格者だったと言う。
そんな田中投手でも「間違った努力」が入団二年目のキャンプ時にあった。
野村氏も田中投手の若さと才能からその「間違った努力」をつい後押ししてしまったが、
後に田中投手に詫びを入れた程である。
また、素質十分なのに結果を出せなかったヤクルトスワローズの〇〇投手は、
努力の方向性を変えたことで勝ち星を積み上げていった選手の一人だ。
当初、〇〇投手が参考にしていた投手は、元ジャイアンツの江川卓投手だった。
江川氏と言えば、ストレートの威力とコントロールが抜群だったが、
それにあこがれた〇〇投手が同じようにインコースのストレートを投げ続けた結果、
バッターの餌食となるばかりだったのだ。
つまり、「インコースのストレートを決め球にしたい」という努力の方向性が間違っていたことになる。
やがて、野村氏の依頼で、
やはり元ジャイアンツのエースだった〇〇氏から球種のアドバイスを受けた〇〇投手は、
新しい球種の精度を高め、ヤクルトのエースとなっていった。
これは、〇〇投手を「正しい努力」に向かわせただけでなく、
本人にも「自らのピッチングスタイルを変えるという勇気が必要であった」と野村氏は言う。
現在アメリカで活躍する大谷翔平選手が登場する前に、二刀流に挑戦しようとした阪神タイガース時代の新庄剛志選手は、「飛び抜けた身体能力を持った選手」であった。
ただし、新庄選手は、努力する才能が十分ではなかった上に「宇宙人」であった。
このような選手には、地球人の言葉では通用しない。
管理しようとしても論理で説き伏せてもダメである。
そこで、野村氏は逆に新庄選手に気持ちよくプレーさせてやり、自覚を促そうとした。
それが、かの有名な二刀流挑戦である。
結果、野村氏は新庄選手の努力する方向を見抜き、
四番打者に抜擢された新庄選手はキャリアハイの数字を残すことになった。
「人を見て法を説け」の言葉通り、
人を指導するときの法則の一つである、と野村氏は語る。