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人間の自己認識は、他者認識よりも不正確。
予備校の講師であり、今ではメディアにも引っ張りだこの「林修氏」は自分と他人の意見が分かれた時に、一度自分を否定することから始まると言う。
第三者が客観的に見た判断は、意外にも正しい。
その第三者がたとえ、自分が講師を務めている予備校の大学生スタッフであったとしてもだ。
そのため、自分よりも若い大学生のアドバイスにも喜んで耳を傾ける。
それは、「結果がすべて」であり、「目標に向かって、結果を出すため」に他ならない。
「自分よりも若い人に教えを乞うなんて・・」と、プライドはないのかと訝しがる人もいるが、そもそも林氏にそんなプライドなど存在しない。
結局、自分で自分を判断してしまうと、「この仕事は自分には合わない」、「自分はこの仕事が好きだからこれしかやらない」と言ったような自分の可能性を狭めてしまう一因にもなるのだ。
林氏は、予備校講師は嫌いでやりたくもない仕事であったと言うが、そのおかげでやりたかった本の執筆の依頼が舞い込み、やがて講義中に自分でも無意識に発した言葉によって好きではないテレビ出演の依頼も増えてしまった。
しかし、自分の好き嫌いを物差しにせず、客観的な評価で「誰よりも自分はできる」という自負で続けてきた結果、
「〇〇〇に全力で打ち込むことが〇〇〇に自分を近づけてくれる」
要因になり、
「〇に巡り合いたいのならば、なんでも引き受けてみるといい」
という言葉にも巡り合えた。
そんな林氏は、「成長を続けることのできる人間」を「自分の頭で考えることのできる人間」であると話す。
読書については「人から本を薦められて読むのではなく読みたい本は自分で探せ」と考えているし、予備校の授業でもやり方を暗記するように教えることはせず、「〇〇〇を与える」ことを目的としている。
「解答の方法」という「覚え方」だけを教えても、
結局は自分の頭で考える力を奪ってしまい、
それは社会に出てから自分で考えることのない、何もできない人間を育ててしまうだけになってしまう。
自分の頭で考えることの意味や楽しさを知らないために、受験では
徹底的に考え、理解し、工夫しながら知識をまとめることができず、
就職では上からの指示がないと自ら動くことのできない人間が増えている理由にもなっている。
一方で、「〇〇〇」を与えられた人間は、物事にどう取り組むか、どうやって解決するか、自分で自分のやり方を探していくことにつなげていける。
そういった人間は、仕事でも己の「仕事観」や「方法論」を確立していくことができ、安易なマニュアル本やハウツー本や、ちょっとしたコツなどに頼ることはしない。
思考は習慣であり、訓練であり、そのことが
「自分自身と親しむことである」
と林氏は語っている。