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2008年にオリンピック自国開催が決定していた中国は、
それまで歴史の浅かったシンクロ中国代表コーチとして、日本で実績十分の井村雅代氏を招へいすることになった。
中国からオファーを受けたことを各方面に相談していて、シンクロ委員長からも好意的に受け止められていた井村氏に突如としてバッシングが始まった。
その原因の一つは、2006年12月のアジア大会で日本代表が中国代表に負けたからだった。
「水泳連盟の内紛」などとマスコミにもいいように書かれ、アジア大会の最中にもかかわらず
JOCの人までが一緒になって井村氏を批判し、まるで国賊扱いだったと言う。
常任理事を務めていたシンクロ委員会の常任理事会で辞表を提出した時には、
その場に集まった委員の皆さんへ、もう一度順序立てて説明したが、自分以外はみんな敵であった。
しかし、水泳連盟への感謝や自分が教えている選手たちへの配慮から
どんなバッシングや噂にも何も言うことはしなかった。
北京へ向かう関西空港では、北京行きのゲートにいた人たちは自分をジロジロ見るし、
”中国教えんの、あの人やで”
とコソコソ言われるし、まるで国外逃亡者のように北京へと一人旅立って行った。
北京に着くと、体育総局の渉外担当の人たちに迎え入れられ、VIP待遇だった。
国家運営の中国では、スポーツに関するすべての施設や選手や指導者の生活環境が一つの場所に揃い、
「国を挙げて勝ちに行く」という中国らしい恵まれた環境が揃っていた。
また、選手たちの気分転換のための色々な講座も受けられるような中国運動員教育基金もあった。
早速、オリンピック前の最初の大会であるメルボルン世界選手権に出場することになっていたが、
中国の選手たちは、スタイルが良く綺麗な身体をしているけれど、筋肉がついていなかった。
そのため、故障を抱えている選手がとても多い。
大会まで間に合わない、と考えた井村氏は、
これまで暗いイメージのあった中国人像を変えるため、しかたなく「愛想笑い」や「挨拶」というシンクロの技術とは全く関係のない分野で勝負することにした。
その結果、この大会で4位という中国史上最高の成績を収めることができてしまったのだ。
現状の中国代表チームに何が足りないかは分かっていた。
いよいよオリンピックに向けて本格的に練習を始める・・という前に、
まずは体力作りのために、食事指導とインナー・マッスルを鍛えるためのトレーニングから始めた。
しかし、日本では理解できない中国の生活習慣や広大な面積を持つ中国ならではの文化、そして井村氏を激怒させたある事件など度重なる衝突が発生する。
井村氏は、その国の文化や習慣を頭から否定することはしなかった。
知らず知らずの内に自分のやり方へと持っていき、選手たちに「オール中国」の意識を植え、
国の違いは関係なく選手たちと向き合い、嫌われてもムカつくと思われても、絶対的な信用をさせるために「鬼」となった。
自分の流儀を変えて中国に合わせることはしなかったのだ。
中国の選手たちは、日本の選手たちと違って外国人のコーチであっても信頼関係ができると信用してくれる。
これが日本の選手だと、外国人のコーチは大丈夫だろうか、と疑ってかかるようなところがある。
逆に言うと、中国の選手たちへの指導は本気でかからないと誰も信用してくれないし動かない。
そのため、選手と向き合う時はいつも命がけだった。
一方で、中国の上層部は井村氏を全面的に信頼してくれていた。
勝つために、そして強化に必要な環境はすべて整えてくれた。
リーダーはリーダに徹し、現場は現場に任せてくれるような環境を常に考えてくれた。
そして、オリンピックの3か月前である5月までは猛練習でギリギリまで追い詰めた。
目前に迫った北京オリンピックだったが、井村氏はこの時期に2つの試練を経験する。
一つは、2008年5月12日に四川省で発生した大地震である。
家族の安否を気づかいオリンピックどころではなくなった四川省出身の選手たちに、
阪神淡路大震災を経験した井村氏が
「泳ぐことで四川の人たちに希望を与えて。」
と泣きじゃくる彼女たちに、寄り添い言葉をかけた。
もう一つは、チームのテクニカルとフリーの両方に出場するはずだった劉?選手の水疱瘡での緊急入院である。
テクニカルとフリーの両方に出場予定だった劉?を励ましながら、現場では補欠の選手を繰り上げて練習に入る。
しかし、井村氏には信念があった。
退院後にどっちの選手を出場させるかは、その時ベストと思った選手であり、それはすべて自分が決める、と。
後にロンドン五輪のために中国に戻った井村氏に、劉?は、
「あの時、(井村)先生が、”待ってるよ”と言ってくれなければシンクロを諦めていたと思う。」
と話している。
そう、結局北京では当初の予定通り、劉?がテクニカルにもフリーにも出場し、
ロンドン五輪では、井村氏にデュエット代表選手としての姿を見せてくれたのだった。
外国でその国のやり方に合わせるわけではなく自分の信念を貫き、
徹底したきつい練習で選手を追い詰め、その合間に見せる救いの手が
選手たちに信頼され、絆となった。
追い詰めても大丈夫な人には何時間でも練習に付き合い、
逃げ道が必要だと思えば、パッと救いの手を差し伸べる。
追い込んだ者の責任として最後に救ってあげることが必要なのであり、
自分の言葉や態度をどれだけ相手に刻み込むことができたのか?
その見極めができてこその「コーチ」である。
自分が育てた選手の成長した姿を見るのが
コーチの一番の喜びであり醍醐味なんです、と井村氏は語る。
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