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プロ野球界で捕手初の三冠王を獲得し、名将でもある野村克也氏は、
野球に携わってきた中で以下の三パターンの人たちを見てきた。
・「才能があって努力する人」
・「才能があって努力しない人」
・「才能はないが努力する人」
中でも、3番目の「才能はないが努力する人」については、
ヤクルトで監督をしていた野村氏が
「ここまで努力できるものなのか」
と思った選手が2人いた。
それは、稲葉篤紀氏と宮本慎也氏である。
同期入団の二人は、
「どうやってプロの世界で生きていくか」を見つけていかなければならないレベルであったが、
人間的にもまじめで、取り組む姿勢や普段の行いについては模範生だった。
ともに「2000本安打」を達成した2人には、それぞれ「弱点」があった。
稲葉氏は「守備面での肩の弱さ」、
宮本氏は「期待された守備力とは裏腹の非力な打撃」であった。
特に、ショートの守備力を買って、バッティングを期待されていなかった宮本氏が
2000本安打を達成したことの方に数段の驚きがあった、と野村氏は語る。
「一流の脇役になれ」
V9時代のジャイアンツの中心選手であった王・長嶋の脇役に
「土井正三」や「高田繁」
がいたように、バントや自己犠牲などのつなぎ役に徹する打者になることを
野村氏は宮本氏に方向づけた。
宮本氏の2000本安打達成の裏には、
「通算犠打408」
という歴代3位の記録がある。
つまり、408回もの
「ヒットを断念しなければならない打席」
があった上での偉業達成となるのだ。
元々、守備には何の文句もつけなかった野村氏が
宮本氏に対して語った「努力」については、
「果たしてこれが本当に正しい努力なのかということを常に自問自答しなさい」
と話しただけだった。
宮本氏は正しい努力をする能力が高かったと言える。
「人間の最大の武器は感性。最大の悪は鈍感」
常にチームの状況を感じ取り、相手の事を感じ取り、周りの事を感じ取ることができる。
それが、「宮本慎也」と言う選手である。
そして、このような努力型の選手たちは、監督としてふさわしい。
キャリアはもちろん、人格、他の選手たちのお手本や目標にもなれる存在なのだ。
「素質がないことは努力するチャンスである」
無名の新人が三冠王にまで上り詰めた自身も振り返り、野村氏は話す。
「結果がすべて」と言われるプロ野球の世界で
多くの指導者たちは、
「見逃し三振」ではなく「バットを振って三振」するように
指導する。
野村氏の場合、三振はどういう形であれ三振であり、
結果が同じであれば、三振するまでのプロセスが大事であると言う。
「見逃し三振」でも、根拠のある見逃し三振であれば、
その打席の検証から反省へとつながり、次の打席に生きてくる。
結局は、努力している人間としない人間の差は、
このような小さいことの積み重ねであり、一年先、二年先に表れてくるのだ。
努力には、〇〇〇がない。
それが、努力を継続することを難しくしている最大の理由である。
野村氏も〇〇〇のなさに、
「普段の素振りなどの努力は報われないのではないか」
と思うこともあった。
それでも、素振りで言えば回数を振るよりも
「こんなことを試してみよう」
「こういう課題にチャレンジしてみよう」
と興味の矛先を少し変えてみた。
そうやって、能力的に不器用な自身の知識や経験は広がっていった。
自身の不器用さからくる努力は、
器用な人・能力の高い人がやらない事である。
そして、そこに勝機が生まれる。
まさに「最後は不器用が勝つ」のだ。
野村氏がよく受ける質問の中に、
「スランプを乗り越える方法」
がある。
しかし、二流選手に「スランプ」
というものはなく、単に「未熟」なだけである。
「できなくて当然」なのに、
「できて当然」だから今はスランプだ、と本人が思っているだけで、
努力も満足にできない者が
勝手に限界を決めているだけなのだ。
プロにとって、妥協・限界・満足は禁句である。
技術力には限界があり、
足りないものを自分でどのように補っていくのか。
「限界からの先」を探すことが、
プロの世界なのだ
と野村氏は語る。